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<画像:2007062702.jpg>Keyの出発点は、tacticsからの脱退だった。
そして今、Kanon, AIR, CLANNAD, Planetarian, 智代アフターと築き上げてきたブランドとは別のベクトルの作品が、世に出ようとしている。
リトルバスターズ!はKey2.0の処女作だ。
追記:これは、リトルバスターズ!発売以前(2007年7月9日)に書かれた文章です。現在の状況とは違う部分が多いです。
◆PDFファイルを用意しました下にも本文をコピーしておきますが、PDFの方が読みやすいかと思います。
(2ヶ月前にもちょっと書いたのですが、今回、全て書き直しました。)
文責
安眠枕
(リスペクト麻枝准代表, 立命館ジャパニメーション批評サークル-RICS-所属かもしれない)
1.「Keyらしさ」とは
Kanon,AIR,CLANNAD……、と続いてきた血統が、リトルバスターズ!で変化しようとしているのは皆が感じている事だと思う。「こんなのKeyじゃない」と言う声も聞こえる。でも「Keyらしさ」というのは何なのだろうか。私はひょっとしたら、リトルバスターズ!という作品こそが、すごく「Keyらしい」のでは無いかと考えている。
2.同じような作品を作り続ける事
刑務所では、様々な種類が混在したビーズを、囚人に仕分させる作業がある。囚人がすべての仕分けを終えると、刑務官がそれを回収し、囚人の見えない所でまた混ぜて、別の囚人に同じ作業をさせる。昔、ナチスが行った拷問の一つに、午前中に穴を掘らせ、午後はそれを埋めさせるという物があったが、「囚人の見える所」でビーズを混ぜないのはそういう事だろう。
同じような作品を求め続けるという事は、ビーズの仕分けに似た事なのかもしれない。拷問とまでは感じないだろうが、きっといつか、クリエイターのモチベーションは低下していくだろう。当然、作品の質も下がる。それではユーザも満足しないだろう。これでは、誰にもプラスは無い。言うまでも無いが、クリエイターが楽しんで作り上げた作品なら、お互いがプラスになれるはずだ。
(同じような作品を拒否する訳でなく、クリエイターが別ベクトルの作品を作ったとしても、それを理由に非難すべきで無いという事。
言い換えれば、今まで素晴らしいとわれていたものを「残し」つつ、「新しい」モノをだせるかどうか、これがリトバスのポイントになるだろう。
当然だが、作品をプレイした後で古参としての意見・批判は必要)
3.「一般向き」への迎合
それよりも、鍵っ子として一番心配なのは、作品が汎化されているかもしれないという事だ。Keyは明らかにリトバスで新規の顧客を狙っているのだが、幅広い層の受けを狙うという事は、クセを無くすという事にもなりかねない。つまり、Keyのクセを新規の顧客に押し付けるというスタンスでは無く、一般向けに迎合してしまう事が心配なのだ。
麻枝准さんという人は、とてもユーザの反応を気にする人だ。それが「ユーザが喜ぶ物を作る」というベクトルに向かえば良いのだが、悪い方に出てしまったら……。例えば麻枝さんは、母親を書くのが非常に巧い。AIRは晴子が母親になる過程を描いた物語と言ってもいいし、智代アフターでは後半では智代が母親の代わりを果たしている。ところが、今回リトバスでは(麻枝さんのシナリオでは)親と恋愛要素は排除すると言っている。
私は、Kanon,AIRと読んだユーザが「Key(麻枝)は父親が書けないのか」という意見を言い、麻枝さんはそれを気にしたから、CLANNADで父親が出てきたのだろうと思う。しかし今度は、「父親の役割を果たしていない」とか「恋愛要素が無いと泣かせられないのか」とかいう意見が出てくる。これらの意見が的を射ているかは置いといて、リトバスに若干影響を及ぼしたのは間違い無いだろう。だからこそ麻枝さんは雑誌のインタビューなどで「今回は両親は無しです」などと発言をしているのではないだろうか。
この麻枝さんの繊細さは、良いほうに傾けば素晴らしい作品を生み出してくれるだろうが、この諸刃の剣、今回はどちらに傾くのか。
4.一鍵っ子としては
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