最近のオタ界隈の議論の風潮 - 「○○というメタ的構造が〜」[022-読み物 コラム]
(2007-08-28) by 安眠枕


<画像:2007082801.jpg>
 「〜このゲームは○○というメタ」「〜というゲーム的リアリズム」「ポストモダン化に対する〜」
非常に便利な単語ですが、便利すぎやしませんか?


 リトルバスターズ!の感想を読みに、色々なサイトに行っていますが、某書に非常に強く影響を受けたと思われるサイトが増えてます。(それ自体は良いのですが)
 はてなに「オタクを語る上での最重要参考資料」と書かれていますし、この本一冊読んでおけば各種『流行語』を使えるようになるので、いまやオタク文化の考察には必携の本になりました。
 しかし、どうにも最近この『流行語』を見るとイライラするんですよ。こち亀じゃないけど、カルシウムボリボリしないとやってられない程に。


 何かしらオタク文化を議論をする時に頻出する単語として「メタ」「動物化」「ポストモダン」「ゲーム的リアリズム」などの単語があげられます。どれも某書に登場する事でスポットライトを浴びた単語で、私はこれらを『流行語』と呼んでいます。アニメ・ゲームのサイトしか回らないですが、とりあえずオタク界隈ではかなり流行しています。

 正直私は、この流行語には飽きてますし、こんな単語を出されて「だから○○は○○というメタゲーだったんだ」などと言われても、全く持って面白くもなんともありません。「だから何?」と。

 確かに、流行語は非常に便利に使えますし、“それっぽく”聞こえます。私も使います。
 しかし、それらの単語を使いたいが為の議論では、一体何のために議論をしているのかサッパリ分からない。
 このサイトでも「言葉の響きだけで動物化動物化と騒いでも何の意味もない」と言っていますが、全くその通りで、小学生が「うんこー!ちんこー!」と嬉しそうに叫んでるのと共通項で括れるレベルの文章もあります。

 最近はこの傾向が酷くなってきて、もう猫も杓子も東浩紀の真似事で「〜このゲームは〜というメタなのです」「〜というゲーム的リアリズムであります」「ポストモダン化に対する〜です」などと書いて結論を出しているか、もしくは「このゲームは○○というメタ的構造が埋め込まれています。以下、それを考察していきます」などと前提を置いて、メタ構造を考察するだけの文章を読む機会が増えています。

 たしかに、それらも一理ありますしなかなか面白い事を指摘しているサイトもありますが、流行語があまりに便利すぎて、これらの単語を使えば「考察」した事になったり、これらを言いたいが為の文章となっているのが嫌なのです。

 特によく使用される「メタ」。これの使われ方がひどい。どんな作品にも作者は何らかのメッセージを込めるでしょうから、「メッセージが埋め込まれている事」をさも自分が発見した事のように主張したって何も面白くないし、(ex この作品にはメタ構造が内包され…云々)延々その構造を語る前に、他に考察すべき箇所はいくらでもあるだろ!と思ってしまうのです。
 もっと言うなら、メタという単語を使用する事で「自分は高尚な文章を書いている」などという勘違いをしている人もいるのではないでしょうか。とにかくもう最近はメタという単語を見ただけで身構えてしまう自分がいます。
(大学でメタ認知というメタメタ構造とか、セマンティックウェブのメタデータの付与なんていう作業をこれまた延々とやらされた事があり「メタ」に飽きてしまったというのもありますが)


 私の友人にも流行語を頻繁に使うサイトがありまして(さすがにお馬鹿な使い方はしませんが)

「お前はそんなに東浩紀が好きなのか?」と聞いたら
「むしろ嫌いだけど?」とか言うもんだから、もうどうでも良くなりました。



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