Love Songと沙耶シナリオ考察 麻枝曲「走る」から(2009-01-04)へのコメント

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by かいと(2009-01-05)

こんばんは。
自分は沙耶ルート終わってから「走る」を聞いたんですが、枕さんと同じくシナリオの原型は「走る」だと思いました。
そして更にコメントが曲に対してのみだったので、寂しかったところも(笑
自分は曲中の登場人物と、作中の登場人物を照らし合わせていこうかと思います。
ネタばれ全開になるので、ヤバイと思ったら削除しちゃってください;;

まず、「神」は恭介でないでしょうか。
誰を救うともせず、干渉だけして不適に笑っている神。
まさに恭介かと。
沙耶からの視点だとすれば、違和感もないかと思います。

次に曲中の主役、「僕」。これを沙耶として話を進めます。
沙耶、つまりアヤは世間一般の生活や青春を経験できず、また何のために生きたのかもわからずに死を迎えてしまった少女。……であってますよね?(何
で、その時の幸せを得たいと言う強い想い、または得られずに一生を終えてしまう絶望が恭介たちの虚構世界に引き寄せられ、好きだったスクレボの登場人物、沙耶として登場したのだと解釈しています。
沙耶自体、恭介が無意識のうちに作り出したとかで、不安定だったためアヤとしての意識で存在できたのではないでしょうか。

ここで「君」の解釈が必要となってくるわけですが、これは「幸せ」なのではないでしょうか?
「体を捨ててまでして探したり」、普通ではありえない「花の咲く大海原」などを超えてまで追って探すもの。
それはアヤが最も欲したものであり、そう考えると自分が手に入れられなかった「普通の幸せ」なんではないかと。

しかし、そうすると「君を好きなたった一つの魂」の部分に違和感が出てしまいます。
「幸せ」を追って追って、残ったものが「幸せ」好きだ! ではあんまりですし。
では、この「君」を理樹とすると?
「幸せ」を追って残されたものは「理樹」が好きなたった一つの想い。
途中で「君」の解釈が変わってしまうところに苦しいものがありますが、こうすると沙耶ルートの象徴となるのではないでしょうか。

そして、曲の最後ですが、「君を好きなたった一人の僕」と、残っているものは魂だけだったのに、「一人の僕」つまり確固たる自分が残っています。
沙耶ルートでは繰り返し繰り返し失敗し、挑戦し続けて最後を迎えます。
「走る」でも同じフレーズを繰り返した最後にこのフレーズが用意されています。
ここも、世界観のシンクロがあるように思えるのです。

内容を知った上でのこじつけに見えるかもしれませんが、こんな解釈はどうでしょうか?


by f2.8(2009-01-05)

 こんばんは。Z氏の影響でコルト コンバットコマンダーのモデルガン(MGC製発火モデル。ちょっとマイナーなシリーズ80+BWC製グリップ。)を購入してしまったf2.8という者です。
 「走る」と沙耶シナリオの関連だけではなくて、安眠枕さんも指摘されている「Hanabi」とリトバスの関連(鈴と恭介の過去なのではとも言われています)とか、Key+Liaの「恋心」の歌詞がONEっぽいとか、「僕らの恋」の歌詞の「この場所に集められた人たちはみんな同じ 何かを失い続けてた」に似た文が智代アフターのシナリオ中にあったりとか、「神話」がCLANNADの幻想世界っぽいとか「百年の夏」のコード進行が「夏影」にそっくりだとか、ちょっと無理にこじつければこのようなネタはたくさんあります。探せばもっと出てくるでしょう。

 これを思い出したのでURLを張っておきます。Keyと「13」という数字の関連について。
ttp://www.keyfan.info/dic/key_/dr.cgi?key=2651

 私達Keyのファンは、広大な「麻枝ワールド」のほんの一部を垣間見ているにすぎない。そんな気がします。

 麻枝さんは作曲した曲をストックしているらしいので、もしかしたら深い意味は無いのかも、とも思います。「Love Song」が智代アフターのBGMに使われているとか、リトバスサントラの「未使用曲3」がもろに「夏影」のアレンジだった、という例もあります。
 本当のところは麻枝さんしか分からないので、いろいろ考察してみるのも面白いなと思いました。

 直接関係ないのですが、記事中で触れられている「僕らの恋」の解釈について。個人的はかなり好きな曲なんですが、アルバム「Love Song」のブックレットのイラストが、解釈の手助けになると思います。影のかかり方と女の子の手首に注目してみて下さい。
 アルバム「Love Song」についてはいろいろと思うところがあるのですが、長くなりそうなのでこのあたりでやめておきます。


by 斉藤(2009-01-06)

沙耶関連ではなく申し訳ないのですが
『LoveSong』の「僕らの恋」を聴いていて智代アフターのあの村と似ている思ったのは僕だけですかね(笑)

>ここからは遠い海

>この場所に集められた人たちはみんな同じ 何かを失い続けてる

>いつからかみんなが手に筆を持ってた 話をして笑いながら色を塗ってた

>でも所詮僕たちは壊れてて傷つけて失って生きてゆく

まあそんな安易な話じゃあないと思いますがね。


by niwa9(2009-01-06)

長くなりそうなのでこちらで
まず沙耶シナリオそのものが"ICO"のオマージュではないかと思います。
麻枝さん自身、Keyらじで「開発スタッフに加えてくれ!」というほどの思い入れのある作品ですし、沙耶シナリオでもそのテイストが深く反映されています。
少女と少年のふたりだけでの冒険。一風変わった迷宮での謎解き。正体不明の影との戦闘・・・etc
そして記事で語られている「走る」に関しても、おそらくICOをオマージュしたものでしょう。走るの歌詞はICOの世界観をどことなく表していますし、奇妙な感覚を覚えたというのもなるほどなと思います。
以上の要素を踏まえると、"心残り"という表現も納得ができますし、今回「走る」にアレンジを加えて完成させたのも、納得ができるかと思います。
勝手な憶測ですが、駄文失礼します。


by 安眠枕(2009-01-06)

>かいとさん

>>そして更にコメントが曲に対してのみだったので、寂しかったところも(笑
ですよねー笑

さて、それはさておき「走る」の解釈ですが、沙耶ルートに当てはめた時、恭介=神で、沙耶=僕になるというのはその通りだと思います。
問題は「君」の解釈についてですね。「幸せ」という解釈で良いと思いますが、更に抽象的で漠然とした「何か」の方が妥当かなーと思います。
というのも、沙耶は自分が何を探しているのかも分かっていなかったんじゃないでしょうか。
ゲーム中沙耶ルートで出てきたキーワードですと、友達、青春、希望、夢、恋、それにかいとさんが挙げている幸せなどでしょうか。

その「何か」を探して走りまわるけど、それをみつけた時には「ただひとりの僕」であった。
つまりBAD ENDに近いです。
これが僕なりの走るの解釈です。

もう少し具体的な話をすると、やはり歌詞が問題で

『いつか君に出会えたそのときに
僕に残されているものはなに?
君を好きなたったひとりの僕
ただ一人の僕』

これを沙耶ルートで考えると、虚構世界にきてまで出会った「何か」
つまり理樹や、ゲームセンターでのデート、お弁当を食べてもらう幸せ、セックスといったもの。青春、恋、幸せ。

それらに出会った時に沙耶に残されているものは。
それが「たったひとつの魂」であり「たったひとりの僕」なんじゃないでしょうか。

クラスメイトは魂をもたないまやかしですし、
沙耶の魂は独立しています。他の魂(リトバスメンバー)との絡みもありません。(たったひとつの魂)
そして、沙耶はもはや助からない。どう頑張っても「現実に」理樹と結ばれる事はありえません。(たったひとりの僕)
これはタイムマシンとか、沙耶生存説の考察が絡んでくるので、ここでありえないと言い切るのは駄目かもしれませんが。


それともう一つ、沙耶とは関係無いですが「君を好きなたったひとりの僕」とそれに続く「ただひとりの僕」は連続していなくて、
「ただひとりの僕」は独立したものだと僕は考えています。って分かりにくいですね。

つまり歌詞の最後の行「ただひとりの僕」と、それ以前の歌詞との間にはかなり距離があるんじゃないかと思います。

歌詞カードの最後の行だけ、それ以前とは全く別のものに見えるんですよね…。
最後に分かったことは「ただひとりの僕なんだ」ということ。
それはとてつもなく絶望的な悟りで、それがまったく麻枝さんらしいかなあなんて思ってます。


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