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<画像:jpg>リトルバスターズ!エクスタシーの沙耶ルートと麻枝准さんの曲「走る」「駆ける」に関しての考察その1。エクスタシートラックスのブックレット見て絶望したので書いてみた。
■期待してたコメントと違う
12月25日にやっとエクスタシートラックスが買えて、わくわくしながら「駆ける」のコメント読んで絶望した。期待してたコメントと違うじゃないか。
沙耶ルートと「駆ける」の関係は僕なりに考察が終わっていたが、コメントがどうにも納得できないので、僕なりの考えを書いて置く。
(こういうのを書くのは恥ずかしいから避けてたけど、「アウトプットが無いのは何もしてないのと同じ」を読んで少し反省したorz 2009年はもう少しアウトプットしてみる)
■『Love Song』とは
「駆ける」とは、麻枝准さんを語る上でしばしば引用される『Love Song』というアルバムの中の一曲「走る」をアレンジしたもの。
過去の記事やネトラジの繰り返しになるが、『Love Song』は麻枝さんを語る上で絶対に欠かす事は出来ないアルバムだ。
そこで『Love Song』についてどこかから引用しようと思ったけど適当なサイトが無かったので、まずは『Love Song』について書いておく。
基本的には『Love Song』という名前の通り恋愛曲を集めたアルバムなのだが、そこは麻枝さん。やはり独特の世界観がある。
「もう百年も生きてきているからきみのこともぜんぶ知っているんだ きみが死ぬそのときに、わたしはそばにいない」Love Song「百年の夏」
機械は叫んだ 自分を壊した
腕を残し鉄くずになるLove Song「グラモフォン」
このグラモフォンから、つまり『Love Song』はある二人の物語を綴ったアルバムだけど、それは時に人の形をしていないという事が分かってくる。色々な姿に形を変えて、色んな時代を生きている。これに相反する考察として、「曲毎に違うカップルの恋愛を描いたもの」と考えてる人も居るようだけど、それは違う。
次の風景は人じゃなかった 優しい声を聴いてた
幸せになる そう信じている 血と涙を流してもLove Song「そして物語が終わる」
12曲目「そして物語が終わる」では、"ふたり"の歩みを振り返っている。"蓄音機から流れる優しい声"とは一見して比喩にも見えるが、さきほど引用した「グラモフォン」と併せて考えれば"機械"というフレーズが比喩じゃない事が分かる。
この"比喩じゃない"というのが「走る」を考える上で重要になってくる。
また、状況証拠でしかないが曲名の付け方や視聴が全曲のクロスフェード(一番下のSAMPLEより)になってる事も全ては繋がってる事を示してるように思う。
(蛇足になるけど「僕らの恋」と、それに続く「灰色の羽根」って怖くないですか?特に「僕らの恋」。解釈によっては割とシャレにならない気がするんですが...。どういう意味なのか麻枝さんに聞いてみたいところです)
■エクスタシートラックス発売
あまり関係無い話をしてもしょうがないので『Love Song』から「走る」に話を戻す。
『Love Song』に出てくる"ふたり"は色々な姿に形を変えて、(時に蓄音機として、)色んな時代を生きているという所まで書いた。
当然「走る」についても僕なりの解釈をしていて、沙耶ルートをプレイし終わって「良かった、走るについての解釈は正解だったぜ!」と思って今まで過ごして来た。
ところが、つい一週間ほど前にエクスタシートラックスを手に入れ(コミケ行ってないので持ってなかった)、「駆ける」のコメントを読んでがっかりしてしまった。
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